特攻の中継基地訪ね
10月30日、日本平和大会熊本県実行委員会は、日本平和大会のプレ企画として「殉空の碑・花房飛行場跡めぐり」を開催、22人が参加しました。
1945年5月5日、福岡の大刀洗飛行場を空襲してテニアン島へ帰る途中のB29に、19歳の少年兵が操縦する日本海軍迎撃機が体当たり、B29は大分県竹田市の山中に墜落しました。少年兵は墜落死、パラシュートで降下した米兵12人のうち多数は、「狂乱怒号の村民たちにより暴行殺傷され」(碑文より)ます。また8人は大学で生体解剖の実験にされました。小説「海と毒薬」のモデルです。
殉空の碑は事件の33年後、B29墜落地の所有者が「かかる戦争の悲劇を二度と繰り返さぬための貴い教訓ともなればと念願し」(碑文)墜落地点に建てたものです。毎年5月5日に鎮魂の供養が行われています。
往路や現地では、事件を詳しく調べている甲斐利雄さんが解説。殉空の碑の特徴は、日本兵も米兵も名前を刻み、一緒に供養していることです。甲斐さんは「日本で敵味方区別なく名前を刻んでいるのは二つ、沖縄の平和の礎と殉空の碑」と紹介しました。
その後は熊本県菊池市にある花房飛行場跡を見学。45年に特攻隊出撃の中継基地とされ、ここを経由して沖縄に向け出撃した人が多数います。5月13日には米軍の激しい空襲があり、約40人が犠牲になりました。また飛行場の工事には多数の朝鮮人が強制労働させられています。
花房飛行場跡には、当時の給水塔や燃料倉庫、飛行機格納庫の巨大な基礎部分が現存しており、銃弾の跡が生々しく残っています。保存運動が行われ、給水塔は菊池市有形文化財に指定されています。
帰りの車中では「普段は善良な人が教育で狂乱怒号の集団となる。教育の大切さとともに恐ろしさを感じた。危ない教科書普及に反対する運動を強めねばと思う」「敵味方の区別なく供養するような心をこそ世界に広げたい」などの感想が出されました。(坂本)
��平和新聞2011年11月15日号)