和歌山平和委員会は6月26日、「和歌山からビキニ被災を考える」をテーマに、講演とパネルディスカッション企画を和歌山市内で開催しました。
講演した第五福竜丸展示館の市田真理学芸員は、1954年のアメリカが太平洋ビキニ環礁で実施した核実験による被災の実態を解説しました。被災漁船は少なくとも992隻にのぼり、当時全国の港で放射能検査が行われ、捕獲した魚を廃棄させられたこと、和歌山でもビキニ被災が大きな問題になり、被災で亡くなった第五福竜丸乗組員の久保山愛吉さんに県内の中学生が見舞いの手紙を寄せたこと、原水爆禁止を求める署名運動が日本中に広がり3000万以上が集まったことなどを紹介しました。「第五福竜丸は核のない未来に向かって今も航海中」と、核のない世界をつくるためビキニ被災を語り継ぐことの大切さを訴えました。
県平和委員会の伊藤宏代表理事(和歌山信愛女子短期大学副学長)がコーディーネータを努めたパネルディスカッションでは、第五福竜丸が建造された串本町(旧古座町)の仲江孝丸町議が、町内の運動について解説しました。2004年に被災50年を記念して平和のつどいを開催、以来建造に関わる資料を収集し、5年ごとに展示会を開いていることを紹介。被災漁船には串本町の人も多く乗り込んでいたことなどを話しました。
和歌山県地評の杉勝則事務局長は、三重県御浜町沖に沈没していた第五福竜丸のエンジン引き揚げに奔走した、父の杉末廣さんの活動について語りました。
核実験の被災船は和歌山を母港にするものも多く、県平和委員会の里崎正事務局長は「実態調査を進めたい」と話しています。