【埼玉・戸田】被爆体験聞く
「逃げ回るしか」
4日、埼玉県の戸田平和委員会は「ヒバクシャ服部道子さんから、72年前の被爆体験を聴く会」を開催、24人が参加しました。
1945年8月6日、服部さんは広島市の爆心地から3㌔にあった軍施設で、看護師として働いていました。被爆の瞬間、空一面フラッシュをたいたような光と、耳が破れるほどの音がし、そのまま意識を失いました。奇跡的に体は何ともなく、助けを求めてくる人々の治療に従事しました。ガラスの破片が無数に刺さった人、皮膚が肩からめくれ爪にぶら下がっている状態の人…。「この世のものとは思えない光景に、初めは逃げ回ることしかできなかった」
「見知らぬ若いお母さんに、おんぶしている赤ちゃんの様子を見てほしいと言われ、見た瞬間『(赤ちゃんの)首がない‼』と思わず叫んでしまった。その瞬間お母さんが言葉に表せない声で叫び、そのまま死んでしまった。どうしてあの時もっとうまく対応してあげられなかったのか」
多くの場所で語り続けてきた服部さんは、「何百回しゃべっても感情抜きにはしゃべれない」と言います。
参加者は、「知ったことをどう周りに広めていけばいいのかを考えなければならない」などと感想を寄せました。
��平和新聞2017年8月25日号)