【秋田市】平和のつどい 最後の空襲から
秋田市平和委員会は8月25日、秋田市内で第5回「夏の平和のつどい」を開催、45人が集いました。
土崎が日本で最後の空襲を受けてから66年目、土崎港被爆市民会議の高橋茂会長が、空襲の実態を語りました。日本石油の製油所が直撃され、ドラム缶6万本が火の海と化し、市民と家屋、兵隊を飲み込んだこと、内臓が飛び出し、手足がバラバラの遺体を寺に収容し、野焼きにしたことを詳細に語りました。特に、おじの行方を捜している途中、何気なく拾い上げた長靴から子どもの足首がポロッと落ちたという話は参加者の胸を打ちました。
続いて伊藤津紀子さんが、焼夷弾の降りしきる中を逃げ惑い、帰宅したら自宅が消滅していたと証言。「地域の祖父母たちも戦後生まれの世代となり、私たちの語り継ぐ責任の重さを感じている」と語りました。
最後に高橋さんが、「空襲の犠牲者で身元が分からない人たちがまだたくさんいる。私は生きている限り追跡調査をしていく」と結びました。(福木)
��平和新聞2011年9月15日号より)