京都府の八幡平和委員会は2月16日、「平和を求めて~知られざる戦争体験を語る」と題して、講演会を開催しました。94歳の小畑哲雄会長を講師に迎えて、46人が参加しました。
小畑さんは「世間には知られていない、私から見た15年戦争を語りたい」と話を切り出しました。
戦争の最初の記憶は、4歳の時。上海事変で日本軍が苦戦する中で、3人の兵士が爆薬を抱えて敵の鉄条網を破ったことを、「肉弾三勇士」と新聞が称え、戦争を煽っていたことです。その後、小学4年の時に甲子園球場へ野球観戦に行った際の経験は忘れられないといいます。試合の最中に場内で名前が読み上げられ、軍への招集を知らせる放送が流されました。呼ばれた人が立ち上がり周囲にお辞儀すると、会場にいる人々が一斉に拍手しました。これにショックを受けトラウマに。いまだに夏の甲子園は見ることができないと語ります。
戦後は復員し、熊本に帰郷します。その帰りの汽車で、広島の幼年学校の生徒と出会いました。その生徒は原爆の直撃は免れましたが、隣にいた生徒は直に爆風を受けました。熱戦で皮膚を垂らした人々を見て、「とうとう俺も地獄に堕ちたかと思った」といいます。小畑さんが聞いた最初の被爆体験となり、平和運動を始めるきっかけの1つとなりました。
小畑さんは続けて、1951年に京都大学の全学自治会で原爆展示会を開催した際、占領政策に違反したため、逮捕・弾圧されたことを語りました。「その時に見た、国民の自由と権利は国民の不断の努力で保持しなくてはならない、という憲法12条のポスターが忘れられない。皆さんが私のような経験をしないようにこれからも頑張っていきたい」と締めくくりました。
参加者からは「貴重な話だった。私は小畑会長の12歳下。戦争体験に空襲の記憶がある」「青春時代の楽しさとは無縁の、戦時下での学生生活が息苦しいものだっただろうと感じた」などと感想が寄せられました。
(平和新聞22年3月15日号)