日平事務局など宮城県石巻市へ
21日目は被災地と松島基地を視察
日本平和委員会は宮城県石巻市での震災ボランティアを呼びかけました。8月22~26日までのべ9人が参加する予定。
8月20日から青年委員会を宮城県平和委員会事務局次長の工藤さん宅で開催しました。
青年委員会から参加した大阪平和委員会青年学生部・大阪の鈴木さん、岡山の谷口さん、北海道・青年協の太田さん、日平事務局の黒津、西村に、8月21日昼から埼玉の松田さん、大阿久さん、大阪・青年学生部の山崎さんが合流。
大分県平和委員会から送られた色紙を、現地平和委のみなさんに渡しました。(色紙を持った方が石巻在住の平和委員会の方、その右隣、左後ろ隣が宮城県平和委員会の方)
全国からの8人と、宮城県平和委員会事務局長・熊谷さん、小林さんの案内で石巻市の被災状況と松島基地を視察しました。
乗用車に分乗し、東松島市矢本地区を通り、松島基地を一望できる地域へ。
同市大曲地区は基地による騒音被害のひどい地域。補償問題で揺れる地域が津波で流失しました。がれきの多くは片づけられていますが、ところどころ流された船が放置されています。
日和山(ひよりやま)から市内を一望。積み上がったがれきの大きな山や流失した様子が見えました。門脇(かどわき)、渡波(わたのは)などを通り、明日から活動する災対連の拠点(石巻市)に移動しました。
以下、参加者の感想です。
「日和山から見た被災状況を実際見たらショックだった。ニュースでは見ていたが、実際のものは想像以上。北上川から波が押し寄せる光景が頭に浮かんだ。案内の方の話がわかりやすかった」
「テレビと生で見るのとではまったく違う。津波ですべて流され、児童公園ではバスケットゴールしか残っていないことに悲しく思った。流失した家の1階にピアノだけが残っている光景を見て、毎日弾いていたのかと想像すると、日常が奪われているのだと実感した」
「まだがれきが目立つ地域で、いくつか店が営業していた。ガソリンスタンドや修理工場、コンビニも。きれいに直して。借金などしてやっているのだろうか、どんな思いでやっているのだろうか。
広いエリアに何千世帯の人が住んでいた。仮設住宅に入った後、また家を持ってやっていけるのか、大変だろう。どう復興したらよいか簡単にはわからない。地盤沈下した土地にどうやって…」
「4月に入ったときの陸前高田の様子を思いだした。もうすぐ半年だが、大きながれきは撤去されているが、更地になって人が住める状況でない、信号が止まっている状況など、まだ変わっていない。松島基地周辺の大曲地区の人々が騒音問題でたたかっていたが、津波で流失してしまった。どうなるのか」
「新しい家やコンビニが建っているのに驚いた」
「広い車道は普通に車が通れ、がれきも片づけられている。しかし少し奥に入るとがれきが残っているなどしていた、ギャップを感じた」